袋田の滝には水戸黄門も訪れている

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この記事は、袋田の滝の記事を「あとがき」として、残したものです。

袋田の滝LIVECOMBSのライブカメラ映像配信の記事、第1号である。
ただ、特別に袋田の滝を第1号に据えたわけではない。

LIVECOMBSを立ち上げるにあたって、大子町の袋田の滝、岩出市の根来寺和泊町知名町の沖永良部島、そして京丹後市の琴引浜、計5か所のページを予め作成し、同時に掲載許可の申請を出して、許可が下りた順に公開をした。

どの自治体も迅速な対応をしてくださったが、その中でも格別早かったのが大子町というわけだ。

恥ずかしい話だが、私たちはLIVECOMBSを製作するまで、袋田の滝の存在を知らなかった。
日本3大名爆のうち、華厳滝はもちろん、那智滝も知っていたにも関わらず、隣県にある(この記事を書いている中の人は栃木在住)滝のことはすっかり知らないのだから、無知であるとしか言いようがない。

これはいかんと、無知なりに袋田の滝について調べてみたが、

地質学的に実に興味深いことが分かった。 袋田の滝は両側を崖に囲まれている。いわば「凹」字のへこんだ部分を滝が流れているのだ。

山肌が川の浸食作用で削られることによって、「口」が「凹」に変化して、このような地形が形成されたのだが、この「凹」字はこれから長い時間が経ってもあまり変化することはない。
浸食にあまり強くない、両側の崖と同じであった地層は既に浸食で削り取られていて、現在の滝が流れている地層は浸食に非常に強い、硬い岩盤だからである。

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対して、華厳滝は崩れやすい地質をしている。
近年では1986年に崩落を起こしているし、一説には、年平均10cm近く後退を続けていて、数千年後には水源である中禅寺湖まで到達し、湖を決壊させるという。
現在では浸食に対する補強工事がされており、その後退を食い止めている状況だ。

袋田の滝も華厳の滝も、古くより多くの人が訪れて見物した滝だが、昔と同じ光景に近いのは袋田の滝と言える。

袋田の滝に訪れた古の人といえば、西行法師、水戸黄門こと徳川光圀、そして明治の文豪で北海道の羽衣の滝の命名者でもある大町桂月だ。

それぞれ、この地で歌を詠んでいる。

花もみち経緯にして山姫の錦織出す袋田の瀧 西行法師

いつの世につゝみこめけむ袋田の布引出すしら糸の瀧 徳川光圀

御空より巖を傳ひて飛落ちてすべりて散りて四度の大瀧 大町桂月

昔の人が見た景色とほぼ同じものが袋田の滝では見られるのだ。

となれば、華厳滝は昔の人が見た景色をもう見ることができない、ということだが、決して落胆する必要はない。

この滝では旧制一校の学生、藤村操が投身自殺をしたのを皮切りに、自殺の名所と呼ばれるようになってしまったが、かつて藤村が立った巖頭は既に浸食され崩れ落ちている。

よって「あの場所から人が飛び降りて、あの辺に落ちたんだよ」などということは、現在ではまったく言えないのである。

自殺の名所であったのも今は昔で、現在では自殺する者は皆無である。

風化してしまうのは地形だけではないのだ。

変わるものには変わるものの良さが、変わらないものには変わらないものの良さがある。

「この紋所が目に入らぬかぁ~~」

時代劇がリメイクを経て愛され続けるように。

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