根来寺のライブカメラ・歴史・観光名所・アクセス|和歌山県岩出市

根来寺のライブカメラ

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ライブカメラの映像

画像および出典元:岩出市

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ライブカメラの仕様

ライブカメラ映像詳細
カメラ機種 Canon VB-C60
配信種類 リアルタイム動画
配信方法 独自配信
配信日時・期間 24時間365日
ライブカメラ操作詳細
視点切り替え
カメラズーム
カメラ解像度変更
明るさ調整
音声 なし
過去の映像・画像 なし
配信元 岩出市
対応デバイス PC, スマートフォン, タブレット

根来寺の天気

和歌山県岩出市の現在
現地時間: 22:52

Iwade

快晴
温度:22.1
湿度:88
風:4.1m(南西)
UTCとの時差:9時間

根来寺の周辺地図

根来寺とは?

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根来寺の開山

根来寺の歴史は西暦1132年に高野山金剛峰寺こんごうぶじ座主ざすであった覚鑁かくばんが、現在の根来寺周辺の領地を鳥羽上皇より寄進されたことに始まる。

覚鑁は西暦1095年に肥前国藤津庄ひぜんのくにふじつのしょう(現在の佐賀県鹿島市納富分のうどみぶんに生まれたが、藤津庄が仁和寺にんなじの寺社領であった縁から13歳にして仁和寺に出家し、真言宗を学ぶこととなる。

やがて20歳で東大寺戒壇院かいだんいんにて受戒してからは真言宗の総本山である高野山で真言密教を学ぶ。その後、35歳で灌頂かんじょうした覚鑁は、真言宗では空海以来の学僧と称されるようになった。

西暦1132年、鳥羽上皇より院宣を受け、高野山に学問探究の場である大伝法院だいでんぽういんと、修禅の道場である密厳院みつごんいんを建立すると同時に、前述の通り、鳥羽上皇から根来寺とその周辺の領地も寄進された。

その2年後の1134年、住職の最上位である座主に就任した覚鑁は、権力争いに精を出す上僧と、信仰心よりも生きる手段のために僧をやっているという下僧が多数を占めるという当時の高野山の現状を憂き、前出の密厳院にて3年余りに及ぶ無言行を行った後、真言宗の経典の中でも著名な経文である『密厳院発露懺悔文みつごんいんほつろさんげのもん』を著わした。

『密厳院発露懺悔文』の内容は、堕落した高野山の僧達の有様を克明に書き連ねたものであるが、覚鑁はこれを改めるために強行的に改革を行っていく。しかし、当然ではあるが、これによって多くの僧達の反発を招き、覚鑁を中心とした改革派と、それに反対する派閥とが対立する構図が高野山内に形成されていった。

1140年には遂に、反対勢力が密厳院をはじめとする覚鑁一門の寺院が焼き討ちされる事件が発生する。

この事件の際、命を狙われた覚鑁は、密厳院本尊の不動明王像の陰に隠れていた。しかし、覚鑁の存在に勘付いた刺客が不動明王像を切りつけてみたところ、像から血が流れ出し、驚愕して撤退したという逸話が残っている。

かくして覚鑁は辛うじて一命を取り留め、生き残った仲間の僧達と高野山を離れ、現在の根来寺にあった豊福寺ぶふくじに拠点を移す。実に覚鑁が46歳の時であった。

その後、学問所として円明寺と神宮寺を豊福寺内に建立し、真言宗の正しい有り方を説いていた覚鑁であったが、残念なことに、その志の半ばとなる49歳でその生涯を終えることとなった。

覚鑁の入滅後、弟子たちは高野山の大伝法院へ戻り、覚鑁の教学や解釈を基礎とした新義真言宗を発展させていった。しかし、高野山との摩擦は根強く、覚鑁入滅から1世紀以上が経った1288年頃、大伝法院の学頭である頼瑜らいゆによって、新義真言宗の学びの場は当時すでに根来寺と呼ばれていた豊福寺へと再び戻された。

歴史の舞台

戦国時代に入ると根来寺は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら三英傑とも関わりながら、歴史を動かす一拠点として歩み出すこととなる。

平安時代末期から、大寺院や神社は寺社勢力と呼ばれる独自の武装集団を抱えて朝廷や武士政権と並んで権力を争う存在へとなっていったが、根来寺もその一つであった。室町時代初期では多くの学僧を抱える学山であったが、戦国時代へ突入すると多くの僧兵を抱える一大勢力へと変貌を遂げていく。

1543年に種子島に2挺の火縄銃が伝来したのは有名だが、そのうちの1挺を根来寺僧兵の長であった津田算長つだかずながが買い付け、根来の刀鍛冶職人であった芝辻清右衛門しばつじせいえもんに複製させた。結果、芝辻が火縄銃の複製に成功したことで、根来の地は火縄銃の一大生産地となっていく。

多くの火縄銃が生産されることによって根来寺の勢いは全盛を迎える。

寺領は50万から70万石と言われた上、根来衆とよばれた一万余りの僧兵を抱え、鉄砲隊までもが組織されるようになった。この頃の根来寺の様子はルイス・フロイスの『日本史』にも書かれているほどだ。

1570年、根来衆は天下布武を目指す織田信長と浄土真宗本願寺教団(一向宗)が10年にもわたって衝突した石山合戦にて、紀伊国大名である畠山高政・昭高らに率いられて織田軍に加勢するなど、信長とは協力関係にあった。この戦いにおいて『信長公記』に、「御敵身方の鉄炮、誠に日夜天地も響くばかりに候」とあることから、根来衆の鉄砲隊が激しい戦いを繰り広げていたことが窺い知れる。

一方で、信長の死後、1584年に秀吉陣営と織田信雄・徳川陣営間で起こった小牧・長久手の戦いにおいて、防衛こそされているが、織田・徳川陣営についた根来衆が秀吉の留守を狙って岸和田城を攻めたほか、根来寺の荘園がある和泉の領有権を巡って対立するなどの要因が重なったため、秀吉は根来衆を討つ機会を伺うようになる。

この戦いは両陣営の講和によって幕を閉じたが、織田信雄・徳川家康ともに秀吉とは単独で講和を行い、根来衆をはじめとする加勢した勢力とは講和を交わさなかったので、いわば根来衆らと秀吉との間ではこの後も戦争が続いた状態であった。

講和によって織田・徳川陣営との同盟が無効同然になった結果、根来寺は秀吉による紀州征伐で侵攻されることになる。紀州には根来衆の他にも、中央集権思想によって天下統一を果たそうとする秀吉にとって脅威となる勢力が多数あり、紀州を制圧することは天下人となる上での大きな足掛かりだったのだ。

1585年、和泉が制圧されたことを皮切りに、遂に根来寺は秀吉によって攻め入られ、境内にあった建物のほとんどが消失してしまった。戦火を免れた建物に大塔(国宝・1547年頃建立)や大師堂(1391年頃建立)があるが、大塔の基部にはこの侵略の際にできた火縄銃の弾痕を今も見ることができる。

その後、しばらく復興を許されなかったが、1600年の関ヶ原の戦いで秀吉が家康に敗れてからは、紀州徳川家の庇護の下で主要な伽藍がらんが復興されていった。そして1690年(元禄3年)、東山天皇より根来寺の開祖である覚鑁に「興教大師こうぎょうだいし」の諡号しごうが下賜された。

炎上再び?現在の根来寺

現在の根来寺は、かつて戦火に遭ったことを微塵も感じさせないほど、ゆったりとした平和な時間が流れている。市街地から少し離れた山の裾に位置しており、自然豊かで閑静な境内には何百年もの歴史を持った伽藍がいくつも佇んでいる。周囲も長閑な田園地帯であり、いかにも平和と言った風情だ。

しかし近年、400年続いた平和を破って、根来寺は再び火の海に包まれる危機に瀕した。

2016年7月に「Pokémon GO」の日本での配信が開始されたが、根来寺では「Pokémon GO」配信以降、境内のあちこちでタバコの吸い殻が散乱するようになったことから、境内での「Pokémon GO」の使用を禁止し、従来禁止していた境内での喫煙同様、発見次第警察へ通報する告知を「Twitter」上で行った。これに一部のTwitterユーザーが反論し、ネット上で議論が巻き起こるなど、一時炎上する騒ぎとなった。


同時期に「Pokémon GO」の使用を敷地内で禁止した場所は他にもあったが、「警察への通報」を明記したのは根来寺が初めてであり、それが炎上に拍車をかけたようだ。

だがこの場合、根来寺の言い分に正当性がある。古くから日本人の文化や生活に深く関わって来たため、寺院や神社は公共の場所だと錯覚しがちだが、いずれも宗教団体が管理している祭祀・礼拝を目的とした施設である。

ましてや根来寺は国が指定した史跡であり、前述の通り国宝をはじめとした重要文化財もある。万が一火事などが発生したらその損失は計り知れない。

それに、根来寺の境内には美しい伽藍に庭園、木々などの植物に溢れているのだから、スマートフォンに目を奪われているのは何とももったいない。タバコの煙よりも、吹き抜けるさわやかな風と、どこからか漂う線香の香りを楽しんでいただきたい。

なお、境内の注意書きはポケモンを追いつめるトレーナーを風刺しており、なかなかユーモアを感じさせるものとなっている。

以下引用

”寺は昔より駆け込み寺といって、追われる立場の人々の避難所でありました。よって根来寺境内の中にいるポケモン達は仏様に保護されています。ポケモン達の密厳国土を守りましょう。あなたにできることは今すぐスマホのアプリを閉じて無慈悲な行為をやめ、手を合わすことです。”

極東の火薬庫、紀伊半島

根来寺がある和歌山県は紀伊半島という日本最大の半島の西側に位置している。戦国時代、この地に大量の火縄銃があったことは前述の通りだが、実は和歌山に歴史上で重要となる銃火器が存在した時代がもう一つある。

明治時代、外国艦隊が大阪湾へ進入することを防ぐため、和歌山県西岸の4km沖にある友ヶ島と呼ばれる無人島群に5基の砲台と弾薬庫が建てられた。

この遺構は現在も残っており、その姿がまるで天空の城ラピュタの様だと話題になっている。もちろん天高く浮き上がったり、神話レベルで地上を焼き尽くす「ラピュタの雷」を放ったりはしないが。

さて、神話と言えば、同じ紀伊半島の反対側にはすべての神社の最上位である伊勢神宮があるが、実はここで紹介した根来寺と友ヶ島と伊勢神宮にはある共通点がる。

日本列島には中央構造線という九州から関東までを縦断する大断層があるのだが、この3地点はそれぞれ中央構造線沿いに位置しており、各所の真下もしくはすぐ近くを中央構造線が通っている。

中央構造線はその全てが活断層というわけではないが、2016年にM 7.3を記録した熊本地震はこの中央構造線で起きた震災であり、特に根来寺を通る断層はA級活断層に分類される非常に活発な断層である。

それにも関わらず、紀伊半島で中央構造線由来の大規模な地震は歴史時代以降の記録はない。

恐らく、紀伊半島では天照大御神と仏の力にラピュタの科学力が加わって、地震のエネルギーを抑えつけているのだろう。

冗談はともかくとして、記録が残っていないことから前回の大規模な地震からかなりの時間が経過していると考えられ、この地域には地震を発生させるエネルギーが蓄積されているとの見方もある。そうであるならば、紀伊半島は今も大きな火薬を抱えていることになる。

歴史的建造物は「いつか行こうかな」などと考えていたら、地震等の災害によって二度と見られなくなってしまう可能性がある。もちろん、再建や復興は行われるだろうが、重要文化財の修復は長い時間をかけて行うものであり、修復期間中はその姿を観に行くことは叶わない。再建されたとしても、それはもう「歴史的」が抜け落ちてしまった、ただの建造物に過ぎないものかもしれない。見に行きたいと思ったら、先延ばしはせずに旅立つ準備を始めよう。

紀伊半島には中央構造線とほぼ平行にJR和歌山線と近鉄大阪線が通っているので、中央構造線に沿って紀伊半島を横断する鉄道旅が可能だ。これを利用して、紀伊半島を端から端まで観光してみよう。

風評被害

Googleなどの検索サイトで「根来寺」と入力すると、サジェスト機能で「根来寺 心霊」と出てくるが、こちらは香川県にある「根香寺」(読みは同じく「ねごろじ」)のことを指しているので注意。

ちなみに根香寺では、「丑三つ時に境内の鐘を鳴らすと呪われてしまう」という噂が一部で囁かれているそうだが、夜中に鐘を鳴らして住職を叩き起こすような真似をすれば、さすがに僧といえども鳴らした者を恨みたくなるであろう。

また、この地には江戸時代初期に牛鬼という妖怪がおり、人や家畜に危害を与えていたそうだが、山田蔵人高清やまだくらんどたかきよという弓の名手がこれを退治し、その角を切り取って根香寺に奉納したという伝説が残っている。実際に、根香寺にはその牛鬼の角と呼ばれるものが今も残っているそうだ。

四国八十八箇所霊場の第八十二番札所であり、かわいらしい牛鬼のモニュメントもあるので、お遍路でなくても訪れてみてはいかがだろうか。

ただし、肝試しはやめましょう。

根来寺周辺の観光スポット

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観光写真の提供元:岩出市様 wikipedia様

根来寺

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現在の根来寺の境内面積は、ニューヨークのセントラルパークとほぼ同じ、約350万㎡である。
のどかな田園地帯の中にあるので、自然もとても豊かな地であり、境内では春には桜の花、秋には楓をはじめとした木々の紅葉を楽しめるほか、初夏の朝には蓮の花を見ることができる。

入場料 中学生以上:500円小学生以下:無料
駐車場 あり 無料
所在地 〒649-6202 和歌山県岩出市根来2286
アクセス

バス

JR和泉砂川駅から
和歌山バス岩出駅行で15分「岩出図書館」バス停下車、徒歩10分
和歌山バス岩出駅行(近畿大学経由)で18分「根来寺」バス停下車、徒歩0分

JR紀伊駅から
和歌山バス粉川駅行or近畿大学行きで15分「根来」バス停下車、徒歩20分
営業時間 4月~10月 9:10 ~ 16:3011月~3月 9:10 ~ 16:00
定休日 なし
その他 桜の見頃:3月下旬~4月上旬
蓮の見頃:7月頃
紅葉の見頃:11月下旬~12月上旬

大塔

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正式名称は「毘廬遮那法界体性塔だいびるしゃなほっかいたいしょうとう」。
高さは約40m、横幅は約15mと、木造の多宝塔としては日本最大を誇る。
1547年完成だが、そのおよそ40年後に秀吉の紀州攻めに遭う。基部に被弾したものの、幸いにして消失は免れた。その際の被弾の痕は今も残っている。

大伝法堂

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根来寺の本堂であり、上述の通り僧達の修行の場でもある。
こちらも秀吉の紀州攻めでの消失を免れた建造物のひとつだったが、根来寺が秀吉の管理下にあった時代に、京都の船岡山にある天正寺の本堂にされるために解体された。
しかし、運ばれる途中で解体してはいけなかったことが判明し、建物はその場で放置された。これが現在の大阪市此花区伝法町の名の由来となっている。
現在の建物は1827年に再建されたもの。

大師堂

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こちらも戦火を免れた貴重な建造物のひとつで、重要文化財に指定されている。
その名の通り、本尊には弘法大師空海上人像が安置されている。1391年頃建立。

不動堂

本尊は覚鑁が命を狙われた際の不動明王像。建物は全国的にも珍しい正八角形をした八角円堂である。
覚鑁の身代りになった逸話から、交通安全や厄除祈願の縁起が良いと言われる。1850年建立。

岩出市民俗資料館

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「岩出市の風土と暮らしの移り変わり」を基本的なテーマとして、縄文・弥生期から江戸時代までの自然環境と、歴史的・文化的発展過程を展示した資料館。
根来寺のすぐ近くにあり、根来寺に関する資料も展示している。

入場料 無料
駐車場 あり
所在地 〒649-6202 和歌山県岩出市根来2306-1
アクセス

JR和泉砂川駅から
和歌山バス岩出駅行で15分「岩出図書館」バス停下車、徒歩10分
和歌山バス岩出駅行(近畿大学経由)で18分「根来寺」バス停下車、徒歩0分

JR紀伊駅から
和歌山バス粉川駅行or近畿大学行きで15分「根来」バス停下車、徒歩20分
営業時間 9:00 ~ 17:00
定休日 火曜日
その他 火曜日が祝日の場合は開館
年末年始は休業

ねごろ歴史資料館

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上記の民俗資料館は岩出市全体に関する資料館だが、こちらは特に根来寺に焦点を絞った資料館である。
根来寺周辺は発掘調査によって武器をはじめとする遺品が多数出土したが、ここではその一部を展示している。
また、根来寺の歴史もここで詳しく知ることができる。
道の駅に併設されているので、そちらで食事なども楽しめるのも魅力だ。

入場料 無料
駐車場 あり
所在地 〒649-6202 和歌山県岩出市根来2029-6
アクセス

徒歩

根来寺より
8分
営業時間 9:00 ~ 17:00
定休日 火曜日
その他 火曜日が祝日の場合は開館
年末年始は休業

中央構造線・根来断層露頭

中央構造線が地上に露出している地点。中央構造線を研究する上で貴重な資料であるため保存されている。
地理・地学に興味がある方は訪れてみよう。

入場料 なし
駐車場 なし
所在地 〒649-6202 和歌山県岩出市根来
アクセス

徒歩

根来寺より
12分
営業時間 なし
定休日 なし

根来寺へのアクセス

岩出市は関西国際空港開港に伴う開発によって発展しただけあって、関西国際空港からのアクセスは非常に良い。
中央構造線を辿る旅がしたいのであれば、西の友ヶ島へ行く場合は紀伊駅から乗車して構わないのだが、東へ向かう場合は市の南にある岩出駅から乗車しなくてはならないので覚えておこう。

根来寺に関するリンク