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ライブカメラに関する説明
このライブカメラはウクライナオデッサにある4月10日スクエア、勝利の翼(勝利記念碑の翼)を映しています。YouTubeより配信されるリアルタイム動画・ライブ配信による生中継です。
天気・人の混雑を確認するカメラとしてご活用いただけます。
詳細または補足情報
ウクライナの南部にあるオデッサは黒海に面した港湾都市で、ウクライナでは首都キエフ、ハルキウ(ハリコフ)に次いで3番目に人口が多い都市です。
ちなみに、アニューズメント会社タイトーの創業者であるミハエル・コーガン氏はオデッサで生まれています。
4月10日広場は1944年4月10日にドイツ・ルーマニア軍の占領下から解放されたことに由来します。
第二次世界大戦中の1941年8月5日、ドイツ軍のバルバロッサ作戦に参加したルーマニア軍は当時ソビエト連邦に属していたオデッサに侵攻し、オデッサの戦いが始まりました。
陸上から包囲されたものの、軍港であったオデッサは海路にて補給が可能であったため、2か月もの間にわたって陥落することはありませんでした。
しかし、クリミア半島にドイツ軍が侵攻したことを受けて防衛力をクリミアへ集中させることが決定されたため、オデッサの防衛は放棄されました。
10月15,16日にソ連軍が撤退するとオデッサは陥落し、以降、1944年4月10日までドイツ・ルーマニア連合軍の占領下に置かれました。
陥落直後の1941年10月30日にはルーマニア軍による市民の虐殺が行われ、約10万人もの市民が犠牲となっています。
その後も虐殺や連行などで延べ28万人もの人間が犠牲となりましたが、犠牲者の多くはユダヤ人だったとされています。
ミハエル・コーガン氏もユダヤ系ウクライナ人であり、株式会社タイトーの名は太東すなわち「極東の猶太(ユダヤ)人」に由来します。
虐殺の一方でオデッサ市民のパルチザンによる抵抗活動も行われており、オデッサは戦後に英雄都市の称号が与えられています。
画面左に映る白いオベリスクのような構造物は「勝利の翼」という記念碑で、1984年にオデッサの開放40周年を記念して建てられました。オデッサ市民からは「体温計」と親しまれています。
広場は毎年4月10日と独ソ戦の勝利記念日である5月9日には多くの花で彩られます。
ライブカメラの仕様
映像が視認できる時間帯 | 00:00〜23:59※上記はおおよその時間です。季節や天候によっても異なります。 |
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住所 | ウクライナオデッサ |
映像から 確認できる場所・名称 | 4月10日スクエア、勝利の翼(勝利記念碑の翼) |
配信ステータス | 停止中 |
配信種別 | リアルタイム動画 |
配信方法 | Youtubeより配信 |
配信開始〜終了までの期間 | 24時間365日 |
視点切り替え | 不可 |
カメラズーム | 不可 |
カメラ解像度変更 | 可 |
明るさ調整 | 不可 |
音声 | あり |
過去の映像 | あり |